【出会い・其ノ3】
四半刻ほど無言で焼けてしまった弥勒菩薩を眺めていた烏羽玉は
「これを知ったら姫はかなしむだろうな。あんなにここに戻るのを楽しみにしていたのに。」
そう言うと恋志姫の顔を思い浮かべ、
「・・・帰ろう」
と主が待つ大川原村に向かって歩き出した。その姿は珍しく元気のない様子であった。あと少しで寺内を抜けようかとしたその時、ガサッと微かな音がしたかと思うと横手から大きな影が飛びついてきた。
「うわっ」
驚いて咄嗟に飛びのいた烏羽玉のさっきまでいた場所に大きな野犬の姿があった。
「あぶねぇ。」
間一髪でかわした烏羽玉ではあったが、敵はもうすでに烏羽玉を狙っている。
「野犬か!まずいな、逃げないと」
向こうっ気の強い烏羽玉でも流石に相手が悪い。
「走って逃げきれるか?」
自問するもここは逃げの一手しかない状況である。そうしている間にも敵はじりじりと近づいてくる。
「シャアーッ」
全身の毛を逆立てながら威嚇をするも相手には効き目がない。あと一歩まで野犬が近づいた時、烏羽玉は石畳の道をダッと駆けだした。素早い烏羽玉ではあるが身体もまだ一人前にはなっておらず小さい。それに対し相手はその倍以上の大きさで意外に動きも俊敏で、直ぐに追いつかれそうになる。
「クソッ」
焦る烏羽玉はジグザクに走りながら追いつかれまいとし、振りほどこうと必死である。獲物を逃すまいと野犬は烏羽玉から離れずついて来る。周りは焼け野原となっていて身を隠す建物も何も無い状態である。
「ハア、ハアッ」
逃げる烏羽玉の息が上がってきている。瞬発的な運動能力は猫の方が勝るが、持久力は犬の方が上回る。それでも必死で境内跡をぐるぐると逃げ回っていると目の前に高い土塀が見えた。
「しめた!あそこに飛び乗れば」
烏羽玉は後ろを気にしながら
「この距離なら大丈夫だ」
と一気に速度を上げて土塀に向かっていき、
「今だ!」
と、そのまま跳躍した。が、無事に土塀に飛び乗れたと思った次の瞬間、
「わぁっ!」
なんと塀瓦が脆くなっていたのかガラガラと烏羽玉ごと地面に落下してしまった。
「イテッ」
バランスを崩した烏羽玉は体をぶつけて転がっている。そこに野犬が迫ってきていた。
「ダメだ!やられる!」
体制を立て直す間もなく襲い来る野犬を見つめていた烏羽玉に相手の牙が襲い掛かる。万事休すと思われた時、目の前を白い影がよぎったかと思うと
「ギャワン!」
と悲鳴に似た声がし、野犬が横に吹っ飛んでいく。そして起き上がるとそのまま何処かに逃げるように走り去っていった。
「ふう、危ないとこだったねぇ。間一髪間に合ったよ。怪我はないかい坊や?」
と、そこには古ノ森が立っていた。
「だから言ったろ、坊やには危ない場所だって。危うく食べられちまうとこだった
じゃないか。」
その場にうずくまったままの烏羽玉にそう、声をかけている。
「動けるかい?何ならおんぶしてあげようか?」
からかうように言う古ノ森に
「大丈夫だよ!」
とカラ元気で答えたものの
(本当に死ぬかと思った。)
と内心では思っている。
「おやおや、相変わらずのはねっかえりだねぇ。」
やれやれという感じの古ノ森に
「・・・ありがとう。助かったよ」
照れくさそうに言うと
「どうしてここに?」
と突然現れた訳を聞いた。
「ふうん、ちょっとはお灸になったのかい?ちゃんと礼が言えるなんて。」
そう茶化すように答える
「坊やが駆けて行った後にちょっと気になってねぇ。それと笠置のお山の様子も
知りたかったからね、後をつけてきたのさ。」
「アタシってなんて優しいんだろうねぇ。」
うんうんと、何故か満足げである。
「坊やが、弥勒菩薩の前で黄昏てるんで退屈になっちゃってねぇ。お寺を見て回ってたのさ。そしたら何やら騒がしいんで戻ってきたら坊やが襲われてたってわけ。」
「ホントに間に合ったからよかったけれど、二回目は無いからね」
烏羽玉にとっては再び救世主となった古ノ森にそう言われて、
「気を付けるよ。」
そう素直に答える烏羽玉であった。
(本当はあの子に妖力があるかどうかをギリギリまで見極めるつもりだったけど、
やっぱり何も無い普通の仔猫だったようだねぇ。)
古ノ森はそう心の中でつぶやくと
「ならいいよ。さて、もうそろそろ帰った方がいいねぇ。若いお侍さんも戻ってきた様だし。」
そう言われて見回すと、気が付けば烏羽玉たちは南の山門近くにいたのである。
そこへ左内が下から登ってきたところであった。
「あの人と一緒なら無事に帰れるだろう?暫くは大人しくしてるんだね。さあ、お行き。」
古ノ森はそう言って烏羽玉を促した
「アンタはどうするんだ?」
問いかける烏羽玉に
「子供に心配される事はないよアタシは。何年この辺りに棲んでると思ってるんだい?」
そう言うとクルリと背を向けて歩き出した。その後ろ姿を見ながら
「不思議な奴だ・・・・でもアイツのおかげで助かったんだ。」
つぶやく烏羽玉であった。
「早く戻らねば日が暮れてしまうな。」
左内が山門をくぐり、東に向かって歩き出した時
「ニャア」
と土塀脇から現れた黒猫に気付いた。
「ん?お前、もしや烏羽玉なのか?どうしてこんな所に。」
驚いたように言うと黒猫は足元に近寄ってきて
「ニャア」
ともう一度鳴いた。
「やっぱり烏羽玉か。どうした?まさかお前、俺についてきてしまったのか?うーん、困ったやつだな。姫様が心配なされるぞ。さあ、一緒に戻ろう、おいで。」
左内の言葉に従うように烏羽玉はその肩に飛び乗った。
「おいおい、自分で歩かないのか?しょうがない奴だな。」
苦笑いの左内をよそに、緊張から解き放たれた烏羽玉は全身の力が抜けて左内の肩でウトウトとし始めていた。